240204-気合いを入れない、気合いでやらない


私が生活から制作まで、気合いだけではどうにもならなくなったのは24歳の時からだ。この時期、死と隣り合わせの日々を送っていた。コロナ禍で外出も減り、当時交際を始めたばかりの人の家に入り浸っていた事は覚えている。その方との交際はそれほど長く続かなかった。

コロナ禍の間、自分の家やその方の家にこもって仕事をしていた。その方の家に行く時は連泊した。

日々気をつけないといけない事が多すぎてうんざりしていた。この頃、1つ目の精神疾患を発病し、人生で初めて心療内科にかかった。現在は寛解している。

元々、気ままに出かけることと制作が私の楽しみだった。それ以外にあまり楽しいと感じる事がなかった。しかしコロナ禍の影響で気ままに出掛けられなくなってから、制作に対しても乗り気になれなくなり、あらゆる制作を気合いで乗り切っていた。

そんな中、2度目の精神疾患にかかった。この疾患により僕は1年半、傷病手当金で生きた。その頃に日本の伝統音楽の研究を始めた。この題材に関係する勉強や研究、実践は長期的に取り組む事でようやく実を結ぶものであり、気合いではどうにもならない事を、やっていく間に知った。

最初は気合いで取り組む瞬間はあったが、数年取り組んでみた結果「システマティックに継続する事」が重要だと分かった。空き時間に論文を読んだり、小さなアイデアを試すためにiPadを購入したのは非常にうまくいった。三味線の練習のために、吹奏楽部時代の経験から耳につけられるメトロノームを購入した。ただおそらく最も効果があるのは、情報遮断の工夫である。

僕のiPhoneには、Line以外のSNSは入っていない。ブラウザも使用不可能にしてある。基本的には連絡のみ可能だ。iPadには連絡に使用可能なアプリは入っておらず、SNSはその都度ダウンロードして投稿し、投稿が済んだらアプリを削除する。ブラウザは使える。Macは全てのアクションを可能にしているが、移動中に使う事は出来ない。楽器の練習は主にハードウェアで対応し、余計な情報が入ってくる状況を潰す。

この工夫によって、総合的な生産性が著しく向上したと思う。

僕はこれ以上、気合いで何かに取り組むことは多分できない。物事に気合いで取り組んだ時の心身の負担があまりにも大きすぎるからだ。これからもうまい継続の仕方を吟味しつつ、5-10年後の取り組みの成果を最大化できるようにしていきたい。


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