ネット、特にSNSには人間1人が1日で処理できる限界を超えているであろう数の意見が24時間転がっている。信用できないような意見が大半だと勝手に思っているが、なぜかそういう意見を自分の中で反芻してしまうことがある。
例えば、他人に身なりを褒められても嬉しいものではなく、自分の好きな人に褒められるから嬉しいのだとか、なんとか。本当にそうなんだろうか。
このような意見は、すこし考えてみれば人それぞれ違うのではないかと思う。
不特定多数に褒められて嬉しい人もいれば、特定の人に褒められることだけが嬉しい人もいるはずだ。なのだが、論調がキツかったり、頭が良さそうな書かれ方をされていると、どうも自分は引っ張られてしまう傾向にある。
SNSの構造的に、投稿を閲覧者が読み込むようにはできていないと考える。次から次へと新しい投稿を見せるようにできているはずだ。
また私がSNSを使う時、脳はインスタントに新しい情報を手に入れたいと思っているので、投稿の読み込めなさが加速してしまう。さらにそもそも、情報量が多すぎる。
つまり、SNS上の意見に振り回されて当然だ。それが嫌ならば忘却するか、アプリを消すか、SNSをやめるか、常に様々な意見に対して真剣に考えるか、ふーん、で済ませるしかないのかもしれない。
SNSを使わない生活は考えられない。でも時々現れる、「一般化っぽいやーつ」から逃れないと自分が辛くなってしまう。私にはさまざまなスキルが足りていないが、上記の「ふーんスキル」のレベルが0なのだ。
可能であれば「ふーん」ができるようになりたい。
あとは文章を構造的に理解するスキルとか。他人の文章を読んだだけだと理解できず、自分の言葉として咀嚼する必要があるのだ。この能力はどうしたらつくのだろうか。
誰か教えて欲しい。