私はよく泣いてしまう方だと思う。嬉しい時も悲しい時も、簡単に涙を流してしまう。
さらに、最近はこれまで以上に涙を堪えられない事が増えてきた。だが、人前で泣きたくはない。正直恥ずかしいし、涙の重みがなさすぎて、あいつは簡単に泣くやつだ、などと思われたくないからだ。いつだってその時の感情は嘘ではないのだが、それを信じてもらえなくなると思うと、怖い。
今日は久々に涙を堪えた。光婉というアートスペースで行っている鑑賞/Kanshoという音楽リスニングイベントに私は関わっているのだが、今日は磯田健一郎さんをゲストに、彼の最新作、「マジエルのまどろみ」をリスニングした。
磯田さんの解説込みで聴く作品は本当に最高だった。3回行うイベントのうち、3回全てで音楽リスニング用の部屋に入りアルバムを通しで聴いていたのだが、聴けば聴くほどにこのアルバムの曲が非常に高い強度を持った作品群である事がわかる。聴かずとも鳴っている音としても美しければ、旋律ひとつひとつの美しさをじっくり味わう事もできる。構成や展開もシンプルながら、それに飽きる事はない。凄まじい作品だと思った。
私が涙を堪えたのは、磯田さんから頂いた資料を見たのちに質問した事への、磯田さんからの回答だった。具体的には、磯田さんはこの曲の初回時のライナーノートや、発掘された楽譜の一部などを資料として配ってくださった。
その中で私は、楽譜に記載されていた曲の調と出だしの和音の在り方に、あるフランスの作曲家による作品を思い出した。これはあの作曲家のあの曲と同じ考え方なのでしょうか?これを質問できるという安心感に、私は涙しそうだったのだ。
しかし本人の前で急に泣いてしまうどころか、お客さんも入っていたので必死に堪えた。突然スタッフが泣いたらびっくりするだろうと思っての事だった。
感情を抑えることは、あまり良いことではないと思っている。
何故なら、前の記事でも書いたが、感情とは能動的に震わせていくものだと考えているためだ。振るわせた感情を自分で無理やり押さえつけるなんてまるでアクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものだと思う。エネルギーが勿体無い。
でも時には涙を堪える事で、スムーズに世界が動く事もあるような気がする。どうなんだろう。
私は涙を流す事が別に恥ずかしいことではない世界を望んでいるが、この記事を読んでいる人はどう思うのだろうか。
なお、以下のリンクからマジエルのまどろみを購入できる。是非聴いてみてほしい。
https://kankyorecords.com/?pid=183570751